サフランボル 

トルコには5回ほど行っているが、再訪した場所がいくつかある。イスタンブールは当然として、グルジアへ向かう基点となる黒海沿いの街トラブゾン、そしてサフランボルという小さな田舎町。

小さい町だが、古い民家がいくつも残っていて、世界遺産にも指定されている。だから、多くの観光客が訪れる観光地だ。僕も13年前に初めて訪れ、3年前にも滞在した。昔より大分観光化されてはいたが、その素朴な雰囲気と美しい景観は変わっていなかった。

13年前は、アジア人が珍しいのか、子供たちがずっと付いて来た。学校で習ったばかりの英語を使って、何か話そうとしたり、「写真を撮って」とせがんできたり、本当に可愛らしかった。朝と夕、古い民家の煙突から上がる煙、石畳の坂道、中心にあるモスクから流れるアザーン、人々の素朴な笑顔…そこだけ時間が止まっているかのようなサフランボルの町は、僕のお気に入りの場所だ。

3年前は、バストンジュ・ペンションという安宿に泊まった。日本語を話せる女性が、家族と経営している。宿自体が古い民家で、外観も内装も趣がある。一緒に食事を作って食べたり、中庭でチャイを飲みながらくつろいだり、ゆったりとした贅沢な時間を過ごした。またいつか訪れたいと思う。

 

24_800turkey1.jpg 26_800tureky1.jpg

古い民家が建ち並ぶサフランボルの町。周囲の丘から、その素朴で美しい町並みを見渡せる。博物館もあって、民家の内部を見ることもできる。

 

 

30_800turkey1.jpg 12_800turkey3.jpg

13年前に声を掛けてきた子どもたち。みんな無邪気で可愛らしかった。3年前泊まった宿の中庭で、トルコ人たちが歌いながら、くつろいでいた。平和でのどかな時間が流れていた。

年に一度の舞踊 

13年前のトルコで、年に一度しか見られないものを見る機会に恵まれた。それは、メヴレヴィー教団によるスーフィーダンス。メヴレヴィー教団とは、トルコのイスラム神秘主義の一つで、信者がクルクルと回転しながら踊る旋踊という宗教行為で知られている。この舞踊は、神と一体になるのが目的だそうだ。

そのメヴレヴィー教団の中心地がコンヤ。コンヤでは、教団の創始者ミーレーが亡くなった12月の中旬に、信者による舞踊が行われるのだ。ちょうど12月にトルコを旅行していた僕は、その舞踊を見ることができた。

舞踊が開催される当日に着いて、チケットが取れるかどうか不安だったが、幸運にも一枚入手できた。開始は夕方なので、それまでコンヤの街を散策した。トルコ・スーフィズムの中心地だけあって、メヴレヴィー教団の立派な博物館など見所は結構あった。声を掛けてきた高校生たちが、片言の英語でいろいろ案内してくれて、更に楽しい観光となった。

さて夕方になり、舞踊が行われる会場へ向かった。会場は体育館のような場所で、2階が観覧席になっており、開始時間を少し過ぎた頃には、人で一杯になった。いつ始まるのかと待っていると、急に電気が消されて真っ暗になり、楽団がスポットライトに照らされ、生演奏が始まった。歌や楽器による宗教音楽が響き渡り、一気に会場は神秘的な雰囲気に包まれる。そして、いよいよ旋踊が始まった…

音楽に合わせて、一人また一人と、白いスカート状の衣装を着たセマーと呼ばれる信者たちが、クルクルと回りながら登場してきた。静かにスカートをひるがえして踊る様は、軽やかでとても優美。次々現れるセマーたちは計20人ほどになり、最後には全員で踊る。闇の中に、ライトに照らされたセマーだけが浮かび上がり、本当に幻想的な光景だった。しかし、ひたすら回り続けているのに、お互いにぶつかることもなく、よろめく様子もない。

「すごいなあ…」と見とれていると、突然音楽が止まった。静寂の中、セマーたちは回り続ける。すると、観客たちが一斉に、「アラー」と手をかざして祈り始めた。セマーと観客が一体となり、会場は荘厳な空気に包まれる。そう、この舞踊は、神と一体になるためのもの。これは見世物ではなく、年に一度の重要な宗教儀式なのだ。そう思うと、僕も不思議な感動と高揚感を覚えた。

少なくとも30分以上は踊り続けたセマーたち。普通なら目が回ってフラフラだろうけれど、彼らはピタッと回転を止め、全く問題なく歩いて会場を去っていった。正に信仰がなせる技。イスラム圏とはいえ、宗教色の薄いトルコで、人々の信仰の深さを窺い知る素晴らしい機会となった。

 

49_800turkey1.jpg 50_800turkey1.jpg

回り続けるセマーたち。何か陶酔したような表情で、彼らは踊り続けていた。ひたすら回転することで、一種のトランス状態になるのかもしれない…しかし、優雅で幻想的な光景だった。

カッパドキア 

トルコの見所の一つ、カッパドキア。奇岩が連なる光景で知られる観光名所だ。世界遺産にも指定され、映画「スターウォーズ」のロケ地にもなった。奇岩の洞窟内部には、迫害を逃れてきたキリスト教徒たちが作った教会跡があり、その頃の壁画が残されている。洞窟は、10年ほど前まで人が住んでいたらしく、今ではホテルなどに利用されている。

 

「妖精の煙突」と呼ばれる有名なキノコ岩は、太古の時代、火山の噴火によって造られた。下部の柔らかい地層は長年の風雨によって浸食されて、上部の硬い地層が残り、今のような地形が生まれた。

 

僕は冬の12月に行ったが、初日は晴天に恵まれ、まるで春のような陽気で、自転車でその奇岩の広がる一帯を走って観光した。次々に現れる不思議で美しい風景に、何度も息を呑んだ。いちいち見とれてしまったために、帰りが遅くなり、日没後の真っ暗な中を走る羽目になってしまった…

 

33_800tueky1.jpg 35_800turkey1.jpg

荒野に広がる奇岩群。まるで竹の子やキノコが、ニョキニョキと生えているよう。気が遠くなるような長い年月をかけて造られた自然の芸術。何度も写真を見ていたが、実際に訪れるとやはり感動した。

 

 

37_800turkey1.jpg 38_800turkey1.jpg

奇岩には、幾つもの洞窟がある。10年ほど前まで人が住んでいたそうだ。右は、内部の写真。現在はホテルなどに使われていて、僕も洞窟を利用した安宿に泊まった。夏は涼しく、冬は暖かいのだそうだ。

トルコ人の優しさ 

今、フィリピンで知り合った友人が遊びに来ている。彼は、トルコ・グルジアを周ってから、ここエレバンに辿り着いた。アルメニアを観光しながら、図書室開設の活動を手伝ってくれている。フィリピンに6ヶ月以上も滞在した友人だが、複数の国を跨いで行く旅行は今回が初めて。いろいろトラブルもあったようだ。

例えば、トルコからグルジアへ入る時、グルジアのイミグレで苦労したらしい。彼は在日韓国人で、パスポートは韓国。しかしパスポートには「Korea」としか書かれていないので、「北朝鮮じゃないのか!」と疑われ、大変な思いをしたそうだ。日本で生まれ育ち、日本語しか話せない彼だが、韓国籍であることで、僕らには起こりえないトラブルを経験した。

また、トルコを夜行バスで移動中、彼が雪山のガソリン・スタンドでトイレ休憩に行っている間に、バスが行ってしまうというトラブルに遭遇した。全ての荷物はバスの中。しかも、そこはガソリン・スタンドしかない雪山。動揺して、彼は夜道を走ってバスを追いかけたらしいが、時遅く、何も持たない状態で取り残されてしまった。さすがに、「ここで俺の旅は終わった…」と愕然としたそうだ。

すると、ガソリン・スタンドの人たちが見かねて、バス会社や警察にも電話をしてくれた。バス会社は夜中で閉まっていたが、警察は飛んできて、彼を近くの署に連れて行き、いろいろな所に電話しまくって、何とかバスの行き先を突き止めたくれた。彼の荷物もそこに無事に保管してあって、やっと彼も一安心。

問題が解決すると、警察署の人たちが、「一緒にサッカーを見よう」「卓球をしよう」と言い出して、結局そこに泊まって、明け方近くまで警察官たちと盛り上がっだのだそうだ。それは、彼にとって、トルコ人の優しさに触れる良い思いでになった。「トルコ人は明るく優しかった」と、彼は言う。

 

13年前、僕もトルコで同じような思い出がある。カッパドキアを自転車で観光した時の話だ。帰りが遅くなってしまい、真っ暗な中を自転車で走っていると、道路脇の杭に激突して転倒。すぐに立ち上がったが、どこか切ったのか、手は血だらけだった。疲れ切っている上に、血を見たら完全に走る気力を失ってしまい、ヒッチハイクを試みた。手を上げていると、2,3台目で車が止まってくれた。降りてきたおじさんは、僕の血まみれの手を見ると驚いて、大急ぎで僕と自転車を乗せて自分の家まで連れて行ってくれた。

家には彼の娘さんがいて、優しく手当てをしてくれ、お茶や食事までご馳走になり、その後は街まで車で送ってくれた。彼らは英語ができず、言葉は通じなかったが、僕はとても温かい気持ちになった。カッパドキアは、観光ズレしている人が多い。しかし僕は、そこでトルコ人の優しさに触れることができた。

トルコでは、他にも人々の素朴さや優しさに感動する機会に恵まれて、素晴らしい旅行ができた。イスタンブールやカッパドキアなどの観光地には、すれてしまっている人たちもたくさんいるが、一般のトルコ人は、優しくてホスピタリティ−に溢れている。

32_800turkey1.jpg 46_800turkey1.jpg

バスターミナルで声を掛けてきたトルコ人たち。左の髭の男性は、当時僕と同じ22歳。全然そう見えない…右は、イスラム神秘主義スーフィズムの中心地コンヤで出会った高校生たち。片言の英語で町を案内してくれた上に、家にも呼んでくれた。

図書室開設まであと一歩 

今週は、とても忙しい日々を過ごしている。注文していた本棚が完成したので、図書室開設予定の場所に運び、本の多くも今日運び込んだ。開設予定場所は、アルメニア柔道連盟とヨーロッパ教育大学。それぞれに二つずつ計4つの本棚と、千冊以上の本を運ぶ作業は、けっこう重労働だった。

今、日本から遊びに来ている友人に手伝ってもらって、大分助かっている。そうでなければ、今頃フラフラだろう…というのも、ヨーロッパ教育大学の方は、開設場所が何と6階!しかもエレベーターがないので、階段を上って運ばなくてはいけない。本棚の時は、教え子の男子学生たちが丁度通りかかったので、彼らにも手伝ってもらった。

しかし今日、そんな苦労も全て報われたような気がした。真新しい本棚に本を並べて、壁に美しい日本のポスターを貼ると、日本的な空間が完成した。まだまだやらなければいけないことはあるが、図書室完成まで本当にあと一歩。9年前アルメニアで日本語を学ぶ学生たちに出会ったことが、全ての始まりだったと思うと、何か不思議な気持ちがしたし、感慨深かった。

今までアルメニアと言っても、どこにあるかさえ誰も分かったくれなかった。それでも、ずっとアルメニアに拘り続けた。その思いが、図書室として一つの形になろうとしている。自分のような人間でも、こんなことができるんだ…そう思うと、嬉しかった。何より、これは多くの方々の協力のお陰。心から感謝している。

今月下旬には大々的に開設セレモニーが行われるので、その時には様々な日本文化を紹介しようと考えている。少しでも多くの人が、日本語や日本文化に興味を持ってもらえるようなイベントにしたい。そして、少しでも多くの人に利用してもらえる図書室を完成させたいと思う。

アルメニアに本を送る会
アルメニア滞在記ブログ

 

DSCN4701armenia11-11.jpg DSCN4703armenia11-11.jpg

ヨーロッパ教育大学にて。友人たちと本棚に本を並べて、壁にポスターを貼ると、かなり様になってきた。日本語の図書室開設まで、もう少し!