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ある夫婦バックパッカーの死 

今月上旬、ある日本人の夫婦バックパッカーが相次いでボリビアで死亡した。原因は、アフリカで感染したマラリア。標高の高いボリビア・ラパスで発症したため、高山病と思い込み手遅れになったとのこと。奥さんはホテルのトイレで座ったまま息を引き取り、ご主人は搬送された病院で亡くなったらしい…

二人とも30代で、2年近くに及んだ旅を終えて、今月下旬に帰国する予定だったそうだ。彼らのブログは人気があり、その夫婦が揃って旅先で急死するというニュースは、すぐに旅行者の間で広まった。亡くなる一週間前までブログを更新していたのだから、信じられない人も多かったはずだ。

しかも、二人は旅行保険が切れていたため、適切な治療を受けなかったとか遺体搬送費用が莫大だとか、長期旅行者にとっては他人事とは思えない情報もある。またマラリアという、アフリカを旅すれば誰もが罹りうる病気で亡くなったのだから、改めて長期旅行のリスクについて考えさせられるきっかけになっただろう。

マラリアはハマダラ蚊を媒介して感染する病気で、高熱、頭痛、悪寒などが主な症状。早めに治療薬を投与すれば、ほぼ確実に治る。しかし、適切な処置を怠ると、マラリア原虫が脳に達して重症化する。今回も、早めにマラリア治療を受けていれば助かった可能性は高い。

僕もアフリカを旅行中、マラリアは心配の種だった。まず蚊に刺されないように、虫除けを塗ったり蚊帳で寝たりという努力はしたが、どうしても刺されてしまう。予防薬も飲んでいたが、完全に防げるわけではない。しかも、予防薬は副作用がきつくて、飲んだ直後に眩暈がしたり、胃が荒れたり、変な夢を見たりと、「マラリアの方がマシじゃないか…」と思ったほどだ。

一度タンザニアで高熱が出た時は、すぐにマラリアを疑い病院に行った。検査の結果、ただの風邪でマラリアではなかったが、誤診の可能性もあるから風邪が完治するまで安心できなかった。それぐらい注意していた(ビビッていた)お陰か、マラリアに罹ることなくアフリカを旅することができた。

たとえマラリアに罹っても、アフリカだったら医者がその可能性を疑い治療してくれる。しかし潜伏期間があるので、マラリアがない、もしくは稀な国で発症すると厄介だ。本人もマラリアとはあまり思わない上に、病院も誤診してしまう。今回の悲劇は、そのような状況も原因の一つだった。

とにかく運が悪かったのか、本人たちの不注意かは、今となっては判断が難しい。ただ個人的には、誰にでも起こりうることだと思っている。日本にいても、交通事故に遭ったり、病気の発見が遅れたりということはある。「自分は絶対に大丈夫」なんて誰も言えない。

まして海外では、日本よりもずっと治安が悪い地域があったり、日本ではあり得ない病気の危険性がある。いくら気をつけていても、「自分は絶対に大丈夫」という保証はない。ほとんどの旅人は、時々トラブルに遭いながらも無事に帰国するが、それは当たり前のことではないのだ。

とはいえ、いざという時のために保険に入っておくとか、常に警戒心を怠らないなどで避けられるトラブルも多々あるのは確かで、今回の夫婦の悲劇は、長期旅行者にとって一つの警鐘になったと思う。

そして、何より気付かされるのは、「自分の帰りを待っている人たちがいるということ」「その人たちのためにも生きて帰ること」の大切さ。計4年以上かけて世界を放浪したが、いつも生きて帰ってこれた。家族や友人と再会して、元気な顔で「ただいま!」と言えた。それは自分にとっては予定通りのことで、帰国した喜びはあっても、特に有り難いとは中々感じられない。

今、僕も結婚して自分自身の家族ができた。お互いの家族は結婚を心から祝福してくれ、家族の大切さを改めて実感した。自分は、やはり一人で生きているのではなく、いろいろな人に生かされているのだと強く感じる。それは、本当に幸せで有り難いことなのだ。

衝撃的な旅行者急死のニュースで、旅に出ることを躊躇する人や怖くなった人がいるかもしれないが、それでも僕は、「旅は本当に素晴らしい!」と自信を持って言える。是非とも、多くの人に旅に出て世界の広さ、美しさを実感してほしい。ただ、「待っている人たちのために必ず生きて帰る」 これを最優先にしてほしい。

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高熱を出したタンザニア・ザンジバル島。美しいビーチを目の前にしながら、テントで寝込んでいた。もったいない…でも、マラリアじゃなくて良かった。

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エチオピアはいい国か、悪い国か 

エチオピアは、旅行者にすこぶる評判が悪かった。エチオピアに行くまで、「飯がまずい」「ダニが多い」など嫌な話ばかりを聞かされた。中には、「エチオピアに行くんですか?僕行きましたけど、アドバイスは、エチオピアに行かないことです。」という人もいた(アドバイスになってない…)。とにかく、エチオピアを良く言う旅行者はほとんどいなかった。

彼らがエチオピアを嫌う理由は、何より「人が悪い!」ということだった。子供から大人まで金をせびってくる。しかも、こちらを指差して、「You money!」と偉そうに金を要求してくるそうだ。確かに、そりゃ嫌だ…しかしエチオピアを通過しなければ、アフリカ縦断の旅は終わらないから、行くしかなかった。

エチオピアに入ってすぐは、「いつ誰がお金をせびってくるのか分からん」と警戒しまくっていた。ケニアとの国境にある小さな田舎町なのに、完全な人間不信。普段なら可愛いはずの子供に対しても、「こっち来んな!」というオーラを飛ばしていた気がする。

そんな時、ずっと付きまとってくる青年がいた。フレンドリーに片言の英語で話しかけてくるが、当然こちらは「怪しい」と断定して、距離を置こうとする。「どこから来たの?」「どうしてエチオピアに?」と質問してくるので、適当に答えながら、内心「お前の目的はどうせ金か物だろ!」と思って鬱陶しかった。

そんな状態で2日が過ぎた。小さな田舎町だからか、聞いていたほど人が悪い印象を受けなかった。「You money!」とお金をせびられた記憶はない。先ほどの青年もずっと僕らに付きまとっていた。こちらは、「記念に何かくれ!」などといつ言ってくるのかと警戒していたが…

しかし、最後の日に彼がせがんできたのは、ただ一緒に写真を撮ってほしいということだけだった。そして、その写真を後で送ってほしいということ。「エッ!それだけなの?!」 ずっと彼を疑っていた自分が恥ずかしかった…彼はただ遠い国から来た日本人と話したかっただけなのだ。

彼は少しはにかんで照れくさそうだったが、僕と一緒に写真を撮った。その後、エチオピアでは、旅行者に聞いていた通り、「You money!」と何度も金をせびられたが、彼のことを思い出して、「こんな人たちは一部なんだ」と、どこか余裕を持って接することが出来た。それどころか、親切な人たちにもたくさん会ったので、最終的にエチオピアを好きになることが出来た。

エチオピアでは、旅した国の印象なんて出会った人次第だし、その出会いさえも自分自身が引き寄せているのではないかと感じた。一つのいい出会いを大切にして人に接していけば、また自然といい出会いに恵まれる。それは旅だけではなく、人生においても言えることだと思

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親切だった彼と一緒に。もっと優しくしてあげれば良かった…とかく評判の悪いエチオピアだったが、「一部の人を除けば、素朴で親切な人がほとんど」というのが僕の印象。食事やコーヒーをご馳走になったこともあるし、無邪気な子供たちの笑顔にも出会えた。

ラリベラ 

エチオピア人の半数以上は、キリスト教徒(実はムスリムの方が多いとも聞く)。しかし、他のアフリカ諸国のような、カトリックやプロテスタントといった旧宗主国が持ち込んだものではなく、エチオピア正教と言うエチオピア独自に発展したキリスト教

エルサレムの聖墳墓教会を保護していたのは、元々エチオピア正教会だったそうだ。そう言えば、エルサレムでエチオピア人らしき人々をを時々見かけた。

そのエチオピア正教徒にとって、最大の聖地の一つラリベラ。エチオピア北部にある小さな町で、住民の大半は正教徒。バスで着くと何もないただの田舎町だが、多くの巡礼者や旅行者がここを訪れる。それは、世界遺産にも指定されている岩窟教会群があるから。

ラリベラの岩窟教会群…12、13世紀に一枚岩をくり貫いて造られた教会群で、エルサレムがイスラム勢力に支配された時に、エチオピアの当時の首都を新たなエルサレムにしようと建設された。全部で11の聖堂があり、それらの幾つかは細い通路で繋がっている。

僕がそこに興味を持ったのは、ナショナル・ジオグラフィックのエチオピア特集を読んだ学生時代。岩を十字架の形にくり貫いて造られた聖堂の写真、そしてエチオピアにはモーゼの十戒を収めたアーク(聖櫃)があるという伝説に、旅心をくすぐられた

実際に訪れたラリベラは、かなり観光ずれしていて、お金をせびってくる人がたくさんいて辟易したが、やはり教会群は素晴らしかった。写真で見た十字架型の聖堂は思っていたより規模が小さかったが、それでも深さは6、7mはあり、どれだけの労力を要したんだろうと古人の信仰心に驚かされた。

下に降りると、司祭が1人いて内部に案内してくれた。靴を脱いで入ってみると、小窓しかない聖堂内部は薄暗く少しジメジメしていた。簡素な造りだったが、壁は所々エチオピア独特の宗教画に飾られていた。アムハラ文字で書かれた羊皮の大きな聖書も見せてもらった。この教会は、今も人々が礼拝をし、1月上旬のクリスマスには国中から巡礼者が訪れる。

 

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聖ギョルギス聖堂。きれいに十字架型にくり貫かれている。一枚岩から作られているので、釘や漆喰は全く使われていない。人の偉大な創造物。右の壁画は別の教会のものだが、天使や聖人もエチオピア人をモチーフに描かれている。どこか素朴で温かい絵だ。


一通り見せてもらった後、司祭は写真を撮ってくれと言う。それでチップをもらおうということだが、まあいろいろ見せてもらったし、既に司祭はポーズを取っているので、一枚だけ写真を撮ってお金を渡した。聖地の雰囲気に浸った後で少し興ざめだが、エチオピアではよくあること。エチオピア入りして2週間経っていたので、そんなことにはもう慣れていた。

ラリベラの町周辺には、土と藁で出来た素朴な家々も建ち並び、のんびりした空気が流れていた。光地なので、司祭までがお金をせびってくることもあるが、本当に素朴で優しい人たちにもたくさん会った

 

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ラリベラ周辺の集落。土と藁で出来た、いかにもアフリカっぽい家が並んでいる。のどかな田舎の暮らしがある。

エチオピア・コーヒー 

エチオピアはコーヒーの原産地。日本でもエチオピアのコーヒー豆は売られているが、ブラジルやコロンビア産に比べれば、まだまだ知られていない。コロンビアに住んでいる時、よくコーヒーを飲んだが、たしかに美味しい。味も香りも最高だ。が、今までで一番美味しいと思ったのは、エチオピア

本当に美味しくて、毎日のどが渇けばコーヒーを飲んでいた。豆もいいんだろうけど、イタリアに4年間だけ支配された歴史からか、どこの喫茶店にもちゃんとしたコーヒーメーカーがある。それで本格的に入れるから、美味い!しかも、驚くほど物価の安いエチオピア。そんな美味いコーヒーが、1杯たったの8円ほど。「こんな値段でいいんすか!?」と、飲むたびで贅沢な気分に浸った。

またエチオピアには、コーヒーセレモニーという文化もある。コーヒーを飲む行為を儀式化したもので、いわゆる日本の茶道にあたり、相手への感謝ともてなしの心を表現する。

床に草や花を敷き詰め、お香を焚く。生豆を煎るところから始めて、相手に煎った豆の香りをかがせる。出来上がったコーヒーをカップに入れてはポットに戻すという行為を繰り返す。そして、相手に3杯飲んでもらう。1杯はブラック、1杯は砂糖入り、そしてもう1杯は何と塩入り…正直これは美味しいとは言えない。

滞在中、3回くらいコーヒーセレモニーに出くわした。ただコーヒーを飲むだけなのに、そこにもエチオピアの長い歴史と独特の文化に触れたように感じて、その時に飲むコーヒーは正にエチオピアの味だった。煎れ立ては本当に美味しいし…また現地で飲みたいと思う。

 

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どこの喫茶店にも、ちゃんとしたコーヒーメーカーがあって、本格的なコーヒーが飲める。生姜入りコーヒーもあった。右は、コーヒーセレモニーの様子。セレモニーは女性が行う。少し高い位置から、小さいカップにコーヒーを注ぐ。彼女は家に招き入れてくれて、コーヒーをご馳走してくれた。

エチオピア 

アフリカのほとんどの国は、ヨーロッパに植民地化された。しかし、ずっと独立を守ってきた国がある。それはエチオピア。東アフリカに位置し、国土のほとんどは標高2000m以上の高地で、首都アジスアベバの標高は2400m。暑いイメージのあるアフリカだが、1年通して涼しい。だからマラリアもない。

エチオピアと言うと、やせ細った子どもにハエがたかる映像が思い浮かぶような、飢餓と貧困のイメージがある。実際に世界最貧国の1つで、今も厳しい経済状況が続く。最近、武装グループに誘拐された日本人女性解放のニュースがあったが、国内情勢も不安定だ。

全く良いことのない国みたいだが、僕にとってエチオピアはアフリカで一番面白い国だった。機会があれば、また行ってみたいと思う。それは、独自の文化や習慣が残っていることが大きな理由。植民地化による言葉や文化の破壊を免れたから、他のアフリカの国々とは全く異なる強烈な個性があった

例えば、公用語であるアムハラ語は大変古い言葉で、独自の文字を使い、それが何と日本語の表記に似ている。アルファベットのような母音と子音の組み合わせではなく、一つの文字が一つの音節を表す。

宗教は、ムスリムも多いが、半数以上がエチオピア正教という、エチオピアで独自に発展したキリスト教の信者。教会の作りも独特で、内部の壁画に描かれている天使や聖人たちは、エチオピア人のように褐色の肌をしている。エチオピア人は、アフリカの人々ほど色が黒くなく、鼻筋の通った精悍な顔をしている。女性はスリムできれいな人が多い

 

暦も独特で、1年は13ヶ月ある。30日から成る12ヶ月と、5,6日しかない1ヶ月で成り立っている。新年は9月上旬で、クリスマスは1月上旬。年も西暦と7年の差があり、エチオピアのミレニアムは去年だった。

何より独特なのが食事。主食はインジェラ。テフという穀物を発酵させてピザ生地のように焼いたもので、味は酸っぱい。その上に肉や野菜の煮込み物が載っていて、インジェラと一緒に手で食す。酸っぱいので、「まるでゲロみたい」と大嫌いな旅行者も多い。正直、僕も初めて食べた時は美味いとは思えなかったが、3日ほどずっと食べていると、くせになってきて、しまいには大好きになってしまった。

ラスタファリズム発祥の地エチオピア。音楽はレゲエと思いきや、何と日本の演歌にそっくり。ただドラムやベースのリズムがボカスカうるさいので、旋律が演歌なだけで、雰囲気は全く違う。しかしエチオピアまで来て、日本を思い出す音楽が聞けるとは意外だった…

他にも、おじぎの習慣があったり、お金を手渡す時に両手を添えたり、「Yes」のジェスチャーがしゃっくりだったりと、不思議で独特の文化が色濃く残るエチオピア。大好きな、そして再訪したい国の一つだ。

 

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国民食インジェラ。雑巾のような色をしていて、見た目も悪いし酸っぱい。でも慣れると美味い。写真は肉料理のないインジェラ。断食の習慣があるエチオピアでは、水・金は肉を食べない。その時に食されるメニューで、僕は大好きだった。


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日曜に開かれる青空市場。
食料品から家畜まで何でも売られている。活気があって面白かった。右はハチミツを売る女性。エチオピアにはタッジというハチミツ酒がある。甘くて美味しいが、けっこう強い。