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ラダック 

カシミールを後にして、ついに目的のラダックへと旅立った。途中、深い谷に沿った危険な山道を走ったりしながら、ヒマラヤの美しい風景の中をバスは進む。しかし確実に緑がなくなっていくのは分かった。森林限界を超えようとしているのだ。写真で見た月面世界のようなラダックへ、少しずつ近づいている。

ラダック地域に入ると、この世のものとは思えない風景が広がっていた。むき出しの岩山と、遥か彼方まで続く荒涼とした大地。空は深く青く、雲は手が届きそうなほど近い。初めて見るチベットの大自然。自分が本当にちっぽけな存在に思える。時々バスはトイレ休憩などで停車するのだが、外に出てみると、風と自分の呼吸の音しか聞こえない。そこに佇んでいると、感動以上に、圧倒的な自然にまさに圧倒されて心細くなってくる…チベットは、想像以上にすごい世界だった

そのバスは2日かけて州都レーに向かっていたが、僕は次の日朝に途中下車した。そこには、ラマユル・ゴンパ(ゴンパは寺の意味)という大きな寺があるので、2,3日滞在することにしたのだ。ラダックで最初に訪れたラマユル・ゴンパは、グランドキャニオンのような渓谷の崖の上に建っていた。かなり大きな寺で、まるで要塞のよう。しかしその白と赤を基調にした建物は、灰色の岩山と青い空に美しく映えていた。渓谷の下には、緑の大麦畑が広がっている。あまりにのどかで、また静かで、時間が止まっているように感じる。

寺へ向かう途中、村で赤い袈裟を着た少年僧たちに出くわした。こちらを興味深げに見ている。カメラを向けると、みな思い思いにポーズをとる。チベットでは、口減らしのために、家の次男や三男などが寺に入れられる。頭を丸めて袈裟を着ていても、幼く無邪気な子供たちなのだ。 

 

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左は、まるで要塞のようなラマユルゴンパ。崖の上に建っていて、周りは険しい岩山に囲まれている。外界から隔絶された世界。右は無邪気な少年僧


寺は、どこのチベット寺院にも言えることだが、内装はかなり質素。しかし古い曼荼羅がよく残されている。住んでいる僧侶たちも、物静かだが、ほほ笑みを絶やさず親切だ。一通り院内を見てから、外の景色を見渡した。切り立った岩山が遠くまで連なり、渓谷の下の畑や沿道にはちらほらと人の姿が見える。ここでは、何百年もずっと、今と同じような人の営みが続けられてきたんだろう…

その後、暗くなるまで、下の村も散策した。チベット系民族であるラダックの人々は、僕らと同じような顔をしている。日本人よりは目鼻立ちがはっきりしていて、肌の色も少し黒いが、やはり親近感が沸く。すれ違うと、みな「ジュレー!(ラダック語でこんにちは)」と、笑顔で挨拶してくれる。圧倒的な自然は、人間を謙虚にそして温厚にするのだろう

夜は村の小さな商店が経営する宿に泊まった。その宿の人たちも、とても穏やかで親切だった。夏とはいえ、標高は4000m近く。夜はだいぶ冷えるが、外に出て上を見上げると、夜空は光り輝く星が散りばめられていた。まさに満天の星空…寒いのも忘れて、しばらく見とれていた

いろいろありがながらも、やっと辿り着いた小チベット・ラダック。全く旅の予定になかったが、そこは十二分に訪れる価値のある秘境だった。

 

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左はお寺からの景色。一見、雄大で厳しい自然だが、渓谷の下には畑が広がっている。右は農作業中の村人。ヤクに収穫した大麦を積んで家路につこうとしていた。ラダックの人々は、穏やかで親切。

タシ 

チベット自治区の州都ラサ。僕は約3週間近く滞在した。とても居心地がいい街だった。漢族がかなり増えたとはいえ、9年前はまだチベット情緒・風情が色濃く残り、独特の雰囲気を持っていた。

特に良かったのは、ジョカン(大昭寺)と言われるラサの中心にあるチベット寺院で、チベット仏教の聖地の一つ。寺の前では、いつも多くのチベット人が五体投地をして祈りを捧げている。「オムマニペメフム」と経文を唱える彼らの声、バター灯の匂い、焚かれるサンという香草の煙…これぞチベット!という光景に、初めて見た時は圧倒されてしまった。

無宗教で、旅行者の自分が立ち入ってはいけないのでは…と感じたが、お祈りしているチベット人たちは皆フレンドリーで、「ここに座ったら?」と呼んでくれる。「どうも」と会釈して座ると、彼らは笑顔で応えるが、すぐにまた数珠を数えながら経文を唱えたり、五体投地を始めたりする。興味本位でいろいろ聞かれたり、変に気を使われたりすることなく、どこか自然に自分が受け入れられているように感じた。それからほぼ毎日ジョカンに出向き、同じ場所に座って、のんびり彼らがお祈りする様子を眺めていた。

 

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左はジョカン(大昭寺)前の様子。いつも多くのチベット人たちが、五体投地を繰り返し祈っている。一瞬、圧倒されるが、皆楽しそうにやっていた。右はチベットの子供たち。折り紙を教えてあげると、すごく喜んでいた。

僕の指定席の隣に、若い女の子がいつも真剣に五体投地をしていた。名はタシという。歳は16,17ぐらいで、とても大きくきれいな目をしていた。話しかけても、ただ笑っているだけの不思議な子だった。若いのに熱心にお祈りする姿と、何か彼女の純粋なものに、胸打たれる自分がいた。

特に会話する訳ではないが、いつも彼女の隣に座って、日々を過ごした。子供たちに折り紙を教えたり、他のチベット人たちと、身振り手振りで交流するのも楽しかった。何回か五体投地をやってみたりもした。地面にうつ伏せに寝転がって、また立ち上がるという単純なものだが、標高3700m近くの高所でやると、すぐ息が上がって苦しい。「こんなついらもんなんか…」1日中それを繰り返している彼らチベット人はすごい。

さて思わぬ長居をしたラサだったが、カイラス巡礼に行くことを決め、あと数日で出ようと思っていた時、タシが現れなくなった。「あれだけ毎日お祈りをしていたのに、どうしたんだろう…」と不思議に思ったが、どうしようもない。とにかく最後に会っておきたかった。

ラサの最後の日、また同じ場所に行ったが、やはりタシの姿はない。「はあ…」と思っていると、よくタシの隣で五体投地をしていたお婆さんが、「タシ、タシ」と言いながら、頭をなでるようなジェスチャーをする。その時は何のことか分からなかったが、午後お婆さんが「タシ!」とある方向を指し示す。そちらを見ると、真新しい袈裟を着たお坊さんが立っていた。「まさか…」と思ったが、そのお坊さんが振り向くと、それはタシだった。そう、彼女は尼さんになっていた。さっきのお婆さんのジェスチャーは、頭を丸めたという意味だったのだ。

僕が唖然としていると、タシは普段と同じように、こっちを見て微笑んだ。そして周りのチベット人も、尼になったタシを祝福している。「仏門に入る決意をするために、一生懸命にお祈りしていたのか…」 彼女は、自分とは全く違う世界に生きている。その現実を突きつけられたような気がした。

チベットの僧たちの環境は、大変厳しい。中国政府の統制下、ダライ・ラマの写真を持つことさえ禁止されている。見つかれば刑務所行き。70過ぎた老僧でさえ、ぶち込まれている。刑務所内では、女性も残酷な拷問を受けたりしている。今年も大きな暴動があったことは、記憶に新しい。そんな状況下でも、タシは尼になることを選んだ。

夕方、一緒に寺の周りを歩いたが、タシはずっと真剣に経文を唱えている。途中、側にいることが悪いように思えて、立ち止まってしまった。彼女は暫く一人で先を行ってしまったが、僕がいないことに気づき、振り返って僕を探し始めた。それを見たら何かホッとして、彼女の元に駆け寄り、「明日カイラスに向かう。さようなら」と言って、その場を去った。僕らは全く違う世界に生きている訳ではない…最後にそう思えたから、寂しさはなかった。

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タシの写真。毎日、他のチベット人と一緒に熱心にお祈りしていた。そして尼になった。 彼女の顔は、晴れ晴れとしていた。

カイラス巡礼とは… 

チベット人は1日で1周するというカイラス巡礼だが、僕らは結局、途中4泊したので、5日かけて周った。雨に降られたり、8月中旬というのに雪まで降ったりしたが、西チベットの美しく雄大な自然、そこに暮らすチベット人の信仰の篤さを、日々目の当たりにして、感動の連続だった。

2日目以降の巡礼中の写真を紹介する。

 

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左は巡礼初日に泊まったお寺。カイラスをバックに。険しい崖の中腹にある古い寺で、数人の僧侶とチベット人がいた。言葉は何も通じないが、身振り手振り、筆談で会話したことを覚えている。日本のことをいろいろ聞かれた記憶があるが、こんな辺境に住む彼らにとって、今の日本は想像もつかない世界だろう…

右は青年僧の巡礼者とカイラス。カイラスの顔が違って見えるのは、左の写真は南面で、右の写真は北面だから。どちらから見ても、本当に神々しく美しい山だった。聖地に来られて、チベット人巡礼者はみな嬉しそうだった。

 

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左はヤクの群れを連れたチベット人たち。巡礼なのか、放牧なのか…こんな荒涼とした世界にも、人が生きている。僕らが聖地だ、何だと大騒ぎしているだけで、ここをずっと生活の場としてきた人たちがいる。そう思うと、何かどこかホッとする。

 右は草を食むヤク。この高地でも、大量の荷物を乗せて長距離を歩く働き者のヤクは、本当に貴重な家畜。ごつい外見をしているが、とても臆病。飼い主以外の人間が近づくと、逃げていく。

 

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左は、巡礼最大の難所ドルマ峠を越えてすぐに現れた氷河湖。峠の頂上は5630m…いくら登っても頂上が見えず、やはり巡礼中もっとも辛かった。しかし峠を登りきった時の達成感と感動は、言葉にはし難いものだった。その峠の途中には、無数の服や靴が落ちていた。「何だ?!これは!」 不思議で、また少し不気味な光景だったが、巡礼者が、カイラスに来た証として、ここに置いていくのだと言う。


右はカイラス北面。カイラスはその特徴的な姿から、聖地にふさわしい神々しさを持っている。しかし、それ以上に巡礼して感じたことは、偉大な自然に比べれば、人間は本当にちっぽけな存在であること。そして、そんな人間たちの祈りや願いが、ずっとこの場所に捧げられてきたということ。それこそが、カイラスを聖地在らしめたのではないか…


僕はカイラス山をこの目で見たいと思って、ハードな旅をした。しかしその旅で得た一番の財産は、カイラス山を見たことよりも、そこへ至る過程で見た風景、出会った人々、遭遇した不運や幸運など、五感で、いや六感で感じた全てだと思う。巡礼とは、そういうものなのかもしれない

カイラス巡礼  

まだ暗いうちに、遂にカイラスに向けてアリを出発した。ヒッチしたのは軍用トラック。頑丈で、凄まじいチベットの道でも故障しにくいのでラッキーだ。が、やはりチベットの道はすごかった。いくら車が頑丈でも揺れる揺れる。体は何度もジャンプし、全身砂埃まみれ。またハードな旅が始まった

 

しかしさすが軍用トラック、川や峠でも止まらずに進む。そのまま走り続け、真夜中にカイラスふもとの町・タルチェンに到着した。明日はここでゆっくりしつつ、巡礼中に必要な食料などを買う予定だ。泊まった安宿のベッドにはマットもなかったが、移動の疲れですぐに眠りに落ちた。

翌日はあいにくの雨。タルチェンは、宿や商店がいくつかあるだけの町、というより集落。それらの建物より、巡礼に来たチベット人たちのテントの方がずっと多い。テントの横を歩いていると、彼らが笑顔で「タシデレー(こんにちは)」と声をかけてくる。赤ちゃんから老人までいる。彼らにとって、聖地カイラスに来られたことは最上の喜びなんだろう…仏教徒ではない僕でさえ、気持ちが昂ぶっていた。

次の日は曇りだったが、出発することにした。カイラス巡礼とは、山の周囲約52kmの巡礼道を時計回りに歩いて周ること。途中標高5千mを越える峠がいくつかあるが、チベット人は1日で1周し、少なくとも13周はする。中には煩悩の数108周する人もいるそうだ。すごいのは、それを五体投地で行う人もいるという…信仰の力とはすごい。僕らは3,4日かけて、1周だけすることにしていた。

歩き始めてすぐ、五体投地で進むチベット人と出会った。「ほんまにやってる!」と驚いたが、向こうは「タシデレー」と笑顔で挨拶。彼らにしたら来世の幸せに少しでも近づく道なわけで、苦行というより喜びなんだろうか…歩きの僕らは彼を追い越して先へ進む。暫くして小雨が降ってきた…しかしカイラス巡礼していることに興奮し、足取りは軽い。いいペースで進むが、さすが標高5千近いので、上り道では息がすぐに切れる。「ハーハー」言いながらも、カイラスを見たい一心で歩き続ける。

2、3時間して開けた場所に出た頃、やっと雨も上がり青空が見えてきた。しかしカイラスは見えない…一体どこにあるんだ?!すると向こうからチベット人の青年が歩いてくるのが見えた。ボン教徒は逆周りするらしいので、挨拶して「ボン教徒ですか」と聞くと、「いや、昨日は時計周りしたから、今日は逆周りに歩いている」とのこと。「へえ、周る方向はあまり拘らなくていいのか」と思うと、同時に「よくこんなきつい道を毎日1周できるなあ」と感心した。

彼と別れて、また歩き出したら…み、見えた!カイラス山が!雲が晴れて、進行方向右にその雄姿を現していた。「おおお…」と、突然の出現に言葉も出ず立ち尽くしてしまった。しかしさっきのチベット人青年を思い出し、振り返って大声で彼を呼んだ。彼はカイラス山が現れたことに気づいてないはず。振り向いた彼に、カイラスを指差して「見えてるよ!」と教えてあげえると、一度カイラスに手を合わせたら、さっさと歩き出して行ってしまった。観光客と巡礼者の大きな違いを感じた。


やっと現れたカイラスは、聖地にふさわしい神々しい姿をしていた。丸みを帯びたきれいな三角の山頂の中央には、縦に大きな溝が入っている。ヒンズー教徒は、カイラスをリンガ(男根)として崇めているそうだが、たしかにそう見えなくもない。偶然による自然の造形物とは思えないほどの荘厳さと美しさ。周囲には高い山が全くないので、その存在感は際立っている。やっぱりすごい…


その後夕方まで、カイラスは雲や峠の影に見え隠れしながらも、ずっとその姿を僕らに見せてくれた。その日泊まった寺はすごい崖の上にあって、歩き疲れた体に鞭打ち、最後は這うようにして辿り着いた。もうフラフラだったが、このハードな旅の目的であるカイラス山を、この目で見ることができた感動に心満たされていた

 
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左は初めて見たカイラスの姿。前にあるのはチョルテンというチベットの仏塔。右は泊まった寺の少年僧。読経をしている。

アリの事件 

5日間のハードなヒッチの旅を終えて、カイラス観光(巡礼)の基点となるアリのに辿り着いた。アリは、中国政府が、インドとの領土問題を抱えるその地域の実質支配、またそれを既成事実化するために作った街。だからチベット辺境にありながらも、全然チベットらしくない人工的な街。

しかし、5日間ひたすらチベットの大自然の中を走り続けた僕らにとって、アリの街はまるでオアシス。5日ぶりのベッドで死んだように眠り、次の日から中華食堂で食べまくった(そんな辺境でも中華はうまい!)。同じ宿には日本人含めた数人の旅行者が宿泊していて、カイラスに関する情報交換をした。ドルの両替もした。まだネットなど全く普及していなかったが、電話局から超レトロな電話器で心配する家族に国際電話もした。アリでの数日間、いわゆる「文明」の恩恵に預かりまくった。

カイラスに行く前に、そのアリでしておかなくてはいけないことが一つあった。それはパーミット(許可証)を取ることカイラス含めた西チベットは、基本的に旅行者の立ち入りは禁止されていて、パーミットが必要。といっても、僕らはパーミット無しで入域してしまっているので、アリの公安(警察)に出向き、「すみません。知らずに来ちゃったんでパーミットください」とお願いしなくてはいけないのだ。強制退去などなく、お金さえ払えばパーミットは取れてしまい、その後は自由に旅行できる。変な話だ…

さて、その用事も終わり、カイラスに次の日向かう軍トラックも見つけて、「さあ明日はカイラスだ」とワクワクしていた。そのトラックには、僕と連れと、もう一人の日本人が乗ることになっていた。同じ宿にいた人で、沖縄出身の30歳の男性。彼はまだパーミットを取っていなかったので、明日の出発のために公安に行った。が、2時間ほどしてから戻ってきて、暗い表情で「パスポートを没収されました…」とつぶやいた

「えええ!?なんで?」と僕らは驚いた。彼の話では、公安にアリまでのルートについていろいろ質問され、お金も多く請求された上、彼らの態度がかなり横柄だったので、最後には腹が立ち「お前ら中国人がチベットを支配して、こうやってお金を取ったりしていること自体おかしい。ここは元々中国のものじゃない!」と言い放ったそうだ。彼は大学時代に中国に留学経験があるので中国語ができる。

しかしその発言に、公安は「お前何て言った!」と激昂し、「強制退去だ!」と彼のパスポートを取り上げてしまったそうだ。明日出発なのにパスポートがない…僕らだけで行ってもいいのだが、困っている彼を置き去りにするのは気が引ける。彼はまた夜に公安に来るように言われているそうだ。ただ勢いで政府批判をしただけだし、まして外国人の言ったことだから、ちゃんと説明すればお咎め無しになるだろう…と僕らは楽観的に考えた。

再度公安に行った彼は、夜中近くになっても帰ってこない。心配になり、彼の様子を見に行った。夜中は街全体が停電してしまうので、公安の建物も真っ暗。手探りで話し声がする方へ行くと、蝋燭が灯る部屋で、彼が2人の公安に囲まれて中国語で問い詰められている。異様な雰囲気だ。僕らに気づいた公安は、「何だ、お前らは!出て行け!」と詰め寄ってきた。「彼の友だちです。心配だから来た」と言ったが、「いいから、出ていけ!」と本気で怒っている。僕らも強制退去とかになりかねないので、仕方なく宿に帰った。

彼が宿に戻ったのは、夜中2時。結局パスポートは返してくれず、延々と中国の歴史を説明され、チベットは元々中国の一部なんだと説得されたらしい。彼はずっと「あれは言い間違えただけだ」と訴えたが、聞き入れてもらえず、処分についてはまだ検討するとのこと。彼は「どうなるか分からないから、明日はカイラスに行ってください」と笑顔で言った。たしかに明日のトラックを逃すと、次いつ車が捕まるか分からない…彼のことは心配だが、僕らにはどうしようもないので、先を急ぐことにした。

続けて彼は言った。「公安では言い訳したけど、やっぱり昼に言い放ったことは本当です。沖縄もチベットに似ているんです。日本に支配され、戦争中は見捨てられ、ずっと日本とアメリカの植民地のよう…チベット人が中国政府に支配・迫害されている様子を見ると、自分のことのように悲しみと怒りがこみ上げてくる」 中国のチベット問題は、決して僕ら日本人にとって無関係なことではないんだと思った。


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左は川を渡るトラック。僕らも道中いくつも川を渡った。なるべく浅瀬を渡ろうとするが、スタックすることもしばしば。先に渡った車に引っ張ってもらったりして脱出する。右は丘にはためくタルチョ。タルチョは、経文が書かれた白・黄・赤・青・緑の長寿・安全などを祈る護符旗。峠には必ず掲げてある。